2021年10月30日

NHK「小室圭さん ニューヨーク州の司法試験合格者一覧に名前なし 」を報じる | タクミくん二次創作SSブログ

☆NHK「小室圭さん ニューヨーク州の司法試験合格者一覧に名前なし 」を報じる
2021-10-30 07:03:10
テーマ:ブログ
 
>NHKニュース@nhk_news 
小室圭さん ニューヨーク州の司法試験合格者一覧に名前なし #nhk_news https://t.co/9WHTVVFCX2
2021年10月30日 07:00
 
 
マジでどーでもいいんですけど
 
PC開いた一発目に
これをNHKアカウントで見せられる絶望感・・・

https://ameblo.jp/voyage011/entry-12707000865.html

NHKニュース
◆社会
小室圭さん ニューヨーク州の司法試験合格者一覧に名前なし

秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さんと結婚した小室圭さんが受験したアメリカ・ニューヨーク州の司法試験の結果が日本時間の29日夜、発表されましたが、合格者の一覧に小室さんの名前はありませんでした。
10/30 06:59
http://k.nhk.jp/knews/20211030/k10013327881000.html

野次馬、NHK

参考
☆天皇制に洗脳され呪われた日本で、はじめて普通の感覚を見た | 東海アマブログ
天皇制に洗脳され呪われた日本で、はじめて普通の感覚を見た
未分類
2021/10/2712:24 - -
 明治維新まで、日本の大多数の人々にとって、天皇というものは、「伊勢神宮の大神主」という共通認識だった。
 それが日本国家の支配者であるなどとは誰一人思っていなかった。宗教上の存在だったのだ。

 天皇は京都にいた。それは足利尊氏のでっちあげた「北朝」系譜の血統だったが、これに対し、明治維新のイデオロギー戦略を練り上げた平田篤胤(平田国学)は、「後醍醐の血を引く南朝こそ正統系譜」と主張し、この主張に沿って、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝充らが相談して、北朝系譜の天皇=孝明天皇を抹殺し、南朝系譜を称する大室寅之佑という奇兵隊員力士を、孝明の息子、祐宮にすり替えて、明治天皇に即位させた。
 孝明天皇を厠で暗殺したのは、伊藤博文と井上馨だったことが分かっている。

 大室新天皇は、京都にいては、公家たちに正体を見破られてしまうため、維新政府は、天皇家=大室寅之佑を東京に遷都させた。
 そして、それまで朝敵だったはずの南朝方は、すべて忠臣ということ切り替え、逆賊だったはずの楠木正成は忠臣になり、皇居に銅像まで建立された。

 このとき、天皇家の歴史が完全に付け替えられたのだ。維新政府は、新天皇に巨大な権威を付与して、日本国民を宗教的に統治しようと考えた。
 これを考え出したのは山県有朋である。
 https://www.amazon.co.jp/portal/customer-reviews/srp/-/R260L4EGXUEUZW/?_encoding=UTF8&ASIN=B009DECZ52

 上のリンクにあるように、山縣は、江戸幕府における士農工商の差別体制によって、「戦争を行うのは武士」という国民的洗脳を解き、全国民男子に等しく戦争徴兵義務を課すために、天皇という頂点の権威と、それを守る全国民という図式に変えようとした。
 この目的で、日本のすべての神=八百万の神に序列(正何位)をつけ、その頂点に天皇を君臨させることにした。

 日本のあらゆる宗教の頂点に、天皇制を置いたことで、「一番エライのは天皇様」という教育的洗脳を広く日本国民に行き渡らせた。
 この明治維新の呪いと洗脳が、やがて太平洋戦争につながるのだが、こうした差別と序列の思想は、全国民を束縛し続けている。
 現在もなお、皇族に対して特別な崇拝感情を抱く人々は、まさに、この「山縣の呪い」が、未だに生き続けているのだ。

 今、起きている小室・真子問題の原点は、まさにここにある。国家統制の目的で作られた、「天皇は崇拝すべき特別な存在」という強迫観念=教育的洗脳が、いまだにメディアや大多数の人々の心をがんじがらめに束縛していることにより、天皇家=皇族は基本的人権さえ奪われることになった。
 
 大半のメディアが、タダの人にすぎない皇族の子供にさえ様付けする愚かで奇っ怪な悪弊が、敗戦後80年近くなっても、いまだに人々を束縛していることで、何が問題なのか問うことさえ許されない「同調圧力」が加えられ続けている。
 野党の指導者ですら皇族に様付けするような、およそ宗教的洗脳を社会の前提にしていては、日本社会が前提のない無数の議論の結実としての合理性に向かうことは絶対にできない。

 今回、小室・真子問題の論評を見渡していて、ただ一点、皇族の基本的人権を問題視する少しだけまともな評論を見つけたので、わずかな救いを感じて紹介しておく。
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「おかしいのは結婚相手ではなく皇室制度」眞子さまの結婚でどのメディアも報じない皇族の人権問題
 https://president.jp/articles/-/51274?page=1

秋篠宮家の長女、眞子さまと小室圭さんが10月26日に結婚する。弁護士の堀新さんは「婚約内定からの4年にわたる騒動で、眞子さまに結婚相手を選ぶ自由がないことが露呈した。皇室に基本的人権がないことをしっかりと考えなければ、悠仁さまの結婚問題にも影響が出る」という――。

  もし眞子さまが一般国民だったら、誰が結婚に反対するのか
眞子内親王(ここでは「眞子さん」と呼ぶ)と小室圭さんが10月26日に結婚します。ここに至るまで、2人の結婚に否定的な報道が繰り返されてきたことはご存じのとおりです。

 この記事では、いろいろなメディアがこれまで論じてきたのとは少々違う切り口で、この結婚問題を見てみましょう。
 まず、仮に眞子さんが皇族ではなく一般国民だったとしたら、どうだったでしょうか。
小室さんとの結婚については、家族や知人友人には反対する人も、逆に賛成する人もいたでしょう。しかし見ず知らずの人から文句を言われることはありません。

 誰が賛成しようと反対しようと、結婚するにせよしないにせよ、最後は自分たちで決めるだけのことです。

 ところが眞子さんの場合はまったく状況が違っていて、賛否が国民的な議論になり、「眞子さまと小室さんの結婚に対して、賛成ですか、反対ですか」などという調査が今に至るまで各メディアで繰り返されてきました。

 この記事を読む方も自分なりの考えがあるでしょう。
 こういう状況が繰り返されてきたので、私たちの感覚もマヒしてそれが当たり前のように思ってしまっているのですが、ちょっと立ち止まって考え直してみましょう。

 赤の他人の結婚に賛成も反対もない

 そもそも他人の結婚に対して、「賛成」とか「反対」という発想をすること自体がおかしいと思いませんか。
 これについて一番素朴な説明としては「結婚しても幸せになれるかどうかわからない。自分の家族だったら反対する」というものでしょう。

 しかしこの答えが既に矛盾を含んでいます。自分の家族や友人ならまだ賛成・反対を言うのはわからないでもありませんが、眞子さんはわれわれの家族なのでしょうか。
 まったくの赤の他人ではありませんか。

 まるで映画『トゥルーマン・ショー』のよう

 岸田文雄総理や菅義偉前総理がわれわれの家族でないのと同じように、眞子さんはわれわれの家族でもないし、知人や友人でもありません。眞子さんは私たちのことをまったく知らないのです。
 逆に私たちの方はもちろん眞子さんのことを知っていますが、これは眞子さんが映画『トゥルーマン・ショー』のように、生まれたときからメディアを通じて日本中の視線に晒されてきたからにすぎません。

 眞子さんが小室さんと結婚して幸せになれるかどうか、これは本人同士にしかわかりません。
 結婚してうまくいけば良し、うまくいかなかったとしても困るのは眞子さんであって、われわれ国民ではありません。

 結婚は公務ではなく私的な行為

 結婚に反対する論者たちは、「眞子さまは『公』よりも『私』を優先している」などと言って批判します。こういう言葉をメディアは無批判に垂れ流してきたのも記憶に新しいところです。しかしここでいう「公」とか「私」とは何でしょうか。

 皇族の仕事は「公務」と呼ばれて、各種行事に出席したり挨拶したりすることですが、眞子さんは小室さんとの恋愛や結婚に没頭して、このような公務をさぼったのでしょうか。そんな話は聞いたことがありません。

 これに対して結婚は公務ではなく、わかりやすくいえば、映画を見たり、食事をしたりするのと同じレベルで、あくまでも私的な行為です。

 もっとも男性皇族の場合は、皇位を継承する可能性がありますから、将来の皇后や皇太子妃になる可能性にふさわしい相手を選ぶのが望ましいとされるのもわかりますが、女性皇族は現在の制度によれば、結婚すれば皇族から離脱して一般国民になるだけですから、そのような考慮をする必要もありません。

 そうなると、眞子さんが小室さんとの結婚を進めたとしても、「『公』より『私』を優先した」などと非難されるいわれなどないことになります。

 「国民の心に寄り添う」という言葉の本当の意味

 これに対しては「小室さんとの結婚には反対や疑問を示す声が世間に多かった。世間の異論を無視して結婚するのはおかしい。皇族は国民の心に寄り添うべきだ」という主張も見られました。
 筋が通った意見のように思えるかもしれませんが、これもおかしな話です。

 国民がA氏と結婚するなといったらA氏との結婚をやめ、B氏と結婚しろといったらB氏と結婚するのが「国民の心に寄り添う」ことになるのでしょうか。
 女性皇族は結婚相手を自由に選ぶこともできず、いちいち国民の「心」とやらにお伺いを立てなければいけないのでしょうか。一見もっともらしい言い方ですが、極めて非人間的な発想に思えます。

 これは、現上皇が各地を積極的に訪問され、人々と触れあって声をかけたり挨拶したりしてきたことから「皇室は国民に寄り添うものだ」というイメージが強く形成されたことに関係があるとも言えるでしょう。
 しかし、被災地など各地の人々に触れあうことと、結婚に対する国民の賛否にいちいち合わせることとは、まったく別な問題です。

 なぜ皇族には基本的人権がないのか

 いずれにしても、今回の一連の騒動によって可視化されたのは、皇族がいかに自由がない生活を強いられているかということでした。
 この点について掘り下げたメディアはほとんどなく、大半の報道では、眞子さんが皇室と世間をいかに困らせているかという観点ばかりでした。今にして思えば非常に異様なことです。

 ここで「皇族の人権」について少し整理してみます。

 皇族の人権が一般国民と同じ扱いでないことは、選挙権・職業選択の自由・居住移転の自由がないことを考えてみればわかるでしょう。
 これについては憲法学で二つの考え方があります。

 一つは、皇族も国民の一員であって、原則として憲法上の権利を保障されているが、象徴天皇制を憲法が規定していることから、必要最低限の例外扱いが認められているだけだという考え方。
 もう一つは、皇族はそもそも国民とは別枠の身分であって、憲法上の権利の保障はなく、単に身分上の特権や義務があるだけだという考え方。

 基本的人権の制約は「最小限」であるべき
どちらも成り立ちうる考え方ではあります。
 ただ、前者の説では、皇族の特殊な扱いはあくまでも必要最小限の例外でなければならないことになります。基本的人権は「最大限」に尊重されなければならないのですから、その制約は逆に「最小限」であるべきだからです。

 そうなると、場合によっては皇族の自由を制限しすぎる法令や取扱があれば、憲法違反の問題が起こる可能性があるということになります。
 一方、後者の説では、国民とはまったくの別身分で人権の保障がないのですから、皇族の自由をどこまで制限したとしても憲法違反の問題はそもそも起こらないという理屈になり、恐ろしく非人間的な結果になる恐れがあります。

 どちらの説にしても、皇族は人権という面で一般国民とは異なる扱いになります。ここで忘れていけないことは、皇族の人々はあくまで私たちと同じ、生身の現代の人間だということです。
 当たり前の話ですが、眞子さんは、平安朝の皇女でもなければ、明治や大正の宮中に生きる人でもありません。
 神話上の神武天皇以来2600年生きているわけでもなく、この現代の日本社会の中に生まれ、その中で30年生きてきただけの人間です。

 たまたま過去の天皇の子孫として生を受けただけで、経済的には困ることはなかったかもしれませんが、他の国民であれば保障されるさまざまな自由や権利のない、特別な扱いを受けてきたのです。
 男性皇族に嫁ぐことは人権を捨てることを意味する
 ここから深刻な問題が浮かんできます。

 女性皇族は男性と結婚して一般国民になるからまだ良いのですが、男性皇族と結婚する女性は、そのまま皇室入りすることになるので、一般国民としての人権の保障を失ってしまうのです。

 つまり女性が男性皇族と結婚するということは、人権を捨てることを意味するのですが、そういう人がそもそも現れるのでしょうか。
 女性の権利や平等がますます強調されるようになっている現在、逆に人権を捨ててまで男性皇族(もはや一人しかいませんが)と結婚してくれる女性がいるのでしょうか。

 このように人権という観点から考えると、皇室制度(天皇制)は、大きな困難と矛盾を抱えているのです。
 今回の騒動について「眞子さまの行動のせいで、皇室制度が危機に陥っている」という論者もいましたが、むしろ身も蓋もない言い方をすれば、「皇室制度のせいで、眞子さまの人権が危機に陥ってきた」という方が妥当なのではないでしょうか。

 いずれにしても眞子さんは10月26日、結婚して皇族の身分をはずれて私たちと同じ一般国民になり、自由や人権を手にします。
 この眞子さんが抜け出した世界、すなわち自分で選んだわけでもないのに生まれつき人権の保障のない特殊な扱いを受ける世界を、いつまで維持できるでしょうか。

 政府は有識者会議を設けて、皇位の安定的な継承について議論しているようですが、もっと根本的な問題があるのではないでしょうか。
 その答えを出すために、恐らく残された時間はそれほど長いものではありません。
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 引用以上

 ほとんど誰も天皇制が抱える本質的な人権侵害について口を開かないなかで、唯一目にすることができた論評が上の指摘である。
 もちろん、大半の弁護士、メディア関係者が、天皇制問題の異常性に気づいていることは明らかだが、それを口にした瞬間、社会的抹殺のような圧力=同調圧力を受ける恐怖から口をつぐんでしまうのだ。

 社会体制の利権代弁者で食べているような、タレント・芸人・芸能人たちは、はるかに厳しい束縛のなかにあって、「年端も行かない皇族のガキに様付けするアホらしさ」なんて正直に口にしようものなら、ほぼ瞬時にメディア界、芸能界から抹殺される。
 この同調圧力の苛酷さは、日本国民が大きな影響を受ける媒体であるメディア、教育界では、極度に厳しいものだ。

 だから、みんな苦虫を噛みつぶして「ちゃん付け」だけがふさわしい皇族の子供に様付けしてみせるのだ。
 これは、まさに思想統制そのものであって、まるでナチズムだと思うのは私だけだろうか? だから、心の思いを正直に口にしないと生きていけない私のような人間は、最初から最後まで、社会から排除されることになる。

 こんなことでは、日本社会は、誰が見ても合理的と思える理想社会に至るのは、とうてい不可能であって、やはり、もう一度、戦争で壊滅的な被害を受けて、生き残ったわずかな人間だけで、洗脳されない正直な社会、合理的な社会を作り直すしかないだろう。

 ちなみに、明治天皇=大室寅之佑は、以下のフルベッキ写真に写っているといわれる。 
 以下は「否定的な佐賀藩士説」
 https://verbeck19.exblog.jp/25395579/

 私は、フルベッキ写真を本物と確信している
 https://se.fc-review.com/torano/

 大室は、橋本龍太郎の4代前の祖先が、大室家の嫁だったのだが、「南朝正統系譜」という主張は、明治新政府が調査するとバケの皮が剥がれてしまい、結局「馬の骨系譜」と見なされたが、そのときは、すでに明治天皇即位後だった。
 そこで、明治帝の侍女だった柳原愛子が生んだ大正天皇の実父は、どうやら大室ではないらしい。誰なのか不明だが、もしかしたら本物祐宮が生かされていて、大正帝を種付けしたのかもしれない。
 ちなみに、祐宮は5尺の体だが、敏捷で蹴鞠の達人だったと記録に残っている。

 もしも、6尺豊かといわれた優れた力士だった大室の子なら、その資質が大いに天皇家の遺伝情報を改善したはずだが、残念ながら、大正天皇は、皇族内の近親婚による遺伝的欠陥の累積によって、受精能力もなく、彼を知る者からは「白痴」と嘲笑された。
 https://president.jp/articles/-/28371?page=1

 それでは昭和天皇は誰の子かと言えば、西園寺八郎と断言できる証拠があると鬼塚英明氏は言う。後に裕仁の侍従として生涯を仕えた西園寺公望とは実の兄弟だったという。
 裕仁は生物学者でもあり、メンデルの法則を熟知していた。「皇族の遺伝情報を健全にする」ためには、明仁の嫁は絶対に外部から優れた血流を入れなければならないということで、日本中の優秀女性を偵察し、白羽の矢が立ったのが正田美智子だったのだ。

 これは大成功し、現在の浩宮天皇時代を生んでいるが、今度は嫁の小和田雅子の祖父が、チッソで水俣病を隠蔽し、責任を拒否し続けた悪質な経営者、江頭豊であり、その呪いが雅子氏にまで及んでいるとの噂もある。
 皇族にとって、もっとも大切な資質が「遺伝情報」であると認識されていることから、今回の小室問題も、彼の母親の資質が問題にされているとの指摘もある。

 余談 「つばさの党」の黒川敦彦君、靖国寺社参拝 天皇制信奉動画を消してしまったね……なぜだろう?
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1660.html?sp



Posted by キ-ス・ジャレッ子 at 09:36