2019年10月30日

Pリン*狂躁亭覚書・ 『 白洲次郎と鶴川村』&   おととひの世界




☆ 狂躁亭覚書・ 病院で考えた『 白洲次郎と鶴川村』1910292000

2019-10-29 20:02:00
テーマ:REQU

おととひの世界




まだお返事を
返ししていないんですけど
明日の朝まとめてお返ししようかと
申し訳ありません

病院でつらつら
考えていた事が一つ

考えてみれば
小さい頃から気になっていたこと
でもあった

少しだけど白洲次郎
白洲正子夫妻と縁があった

たまに
遊んでもらうことがあった
あの時も確か

もののついでに尋ねたんですよ

『どうしてここ
   つまり「鶴川」に住み着いて
   米作りをやろうと思ったのか?』

あの頃
つまりあの夫婦が住み着いた頃
東京都多摩郡鶴川村

現在は
町田市鶴川ですけど

電力グリッドがあるから?

よく知られていることだけど

白洲次郎さんは
『ヨハンセングループ』の一員でした

吉田茂がやろうとしていた
『対英米講和』

もちろん
敵国と通信するのですから
特高警察に睨まれますよ

実際吉田茂も
白洲次郎さんも睨まれていて

逮捕されたんじゃなかったですかね?
あのドラマの中では吉田茂
原田芳雄さんでしたけど

逮捕されてましたよ
吉田には似てないかな?
と思ったけど
上手だった

鶴川の奥には小規模だけど
水力発電所があります

その電力あてこんだのかと思った
しかしそれだけの理由でね


あちこち見て回って
気に入ったからだという事
以外の事

何か言っていたんで

工場地帯と近い
とかなんとか
川崎の工場地帯ですよ

言ってる意味
全然分かりませんでした
『米作り』これから
やろうというとき

何故
『工業・工場地帯が近い事』

それが米作りをやるにあたり

その場所選定の
メインファクターになるのか?
どう関係があるのか?

直接聞いたわけじゃありません
入院している時に

ガキの頃の聞きかじりをもとに
考えていて気が付いたんで

白洲次郎の父親は
相場師でした

結局最後は失敗しましたけどね
途中までは大成功していた

はっきり言うと戦争で儲けてきた人

言っちゃ悪いけど
とてもじゃないが
正業に就いているとは言い難い人

そういう父親の
背中を見て育ったのが白洲次郎さん
NHK のドラマにもある通り

父親には随分反発をしたが
結局父親と同じような商売を

戦争で儲けてきた父親
特に第一次世界大戦

日清日露より後
日英同盟は廃棄される前

日本はオブザーバー参加を

南太平洋で
権益を拡大しつつあるドイツ

その寝首掻きに雇われていた
そういう形でした

おそらく併合された
朝鮮や台湾から 

たくさんの『なりすまし』が
日本に入っている

 そういうこともあったはず
おそらく500万人とか1000万人
というレベルで 

今はともかく
あの当時

朝鮮や台湾にいては
もう見込みがないと思った人

大勢いたんですよ

そういう人も日本に来た
言っている通り
強制された人もいた
売り飛ばされたような人もね

しかし
誰に強制されるまでもなく
日本に来る

そういう人も大勢いた

 朝鮮は
強烈な階級差別があった

 朝鮮半島に残る限り
将来がない人
それでなくとも大勢いたわけで

そういう人はこぞって来た
 台湾も同じ

 おそらく大陸も
そうだったと思いますよ

もう中国は本当に
ひどいことになっていた

 蒋介石 も
朴正煕も陸軍士官学校卒です

朴正煕は
自分で言ってますけれど

そもそも大学に行けるような
身分ではなかった

彼らは
植民地の大成功者です
そこまでじゃなくとも
日本に来れば少なくとも

工場労働者にはなれた
関東では東京の下町
川崎横浜

関西では圧倒的に
大阪・尼崎ですよね

農村では
横の繋がりがきついので
なかなかそういう連中が
入ってこれない

しかしこの頃
つまり大正が始まるか始まらないか
そして間もなく

最初の世界大戦

日本の人口
農村でも劇的に増えている

それほど
農業技術は進歩していない
やってることは幕末と
それほど変わらない

最も変わった事
って何だったでしょう?

『肥料の質と量』
だったはずなんで

『タカジアスターゼ』
で有名な高峰譲吉

この人
1880年にイギリスに留学

リン鉱石に
硫酸を反応させた
『過リン酸石灰』の製造方法を
見学実習
身につけて帰っています

当時アメリカ
フロンティア開拓が終わる頃
南米から大量に輸入されていた

『グアノ肥料』が
枯渇する頃でもあった

海鳥の糞化石です

もっと
古くから海底で形成され
地上で掘り出されるタイプ

現在
リン酸化合物原料になっている
『リン酸鉱石』が
掘り出されるところ

高峰は
カロライナ州で見て
自腹で4トン鉱石を買って帰った
そして1888年

高峰譲吉
『東京人造肥料会社』創設
日本初の過リン酸石灰工業生産を開始

当時ヨーロッパでは
製鉄プロセスから脱リン
これにしのぎを削っていた

『脱リン』しないと
鉄がもろくなるから

事実タイタニック号
それで沈没したと言われている

そこで
製鉄所で分離されたリン

『トーマス燐肥』として
人造肥料として売り出すことを始めている

日清戦争(1893~4)が始まり
満州からの大豆粕輸入が不可能に

そして
当時は取れ過ぎ
肥料に使われていた
北海道のニシンも不漁

ここから大日本帝国
国家による肥料配給統制へ

零細メーカーによる粗悪品が
多く出回るようになり

その面からも必要になった
『肥料取締法』明治32年・1899年

日清・日露の両戦争
特に日露戦争が始まる前から
そうなっていて

当時
急激に人口が増加していた日本
肥料不足は直ちに飢饉に繋がる

改めてそういう認識が広まる

ここで
『投機屋さん』の出番
つまり白洲次郎さんの
お父さんみたいな人

もちろん
農業も知っていただろう

しかし農業のノウハウだけで
増産ができない事も知っていた

大量の肥料を投入しない限り

日本の土にはリン分・P が足りない
途絶するとパニックが起こる

その時
『リン』を大量に押さえておけば
濡れ手に粟の大儲け

事実
第一次世界大戦当時
日本にはそういう
『リン成金』がたくさん

ドイツは
土地が貧しいことで
泣かされてきた国です

だから
肥料原料がたくさん出る島は
南太平洋まで出張って押さえた
南太平洋にはたくさん
ドイツ領の島々があった

日英同盟に基づき
ドイツが領有する『リン鉱山島』

日本は片端から占領した

日本の領海内にもあった

沖縄県の沖
大東島(ラサ島)
北大東島ではリンが発見され
1906年から採掘

そして大正3年・1914年
大戦勃発と同時にイギリスに加勢し

南洋諸島
アンガウル島始め
リン鉱石資源島を全て入手

言いたかないけど
『火事場泥棒』ですよね
実際ヨーロッパでそう言われていたらしい

大正10年・1921年頃
過燐酸石灰メーカーは
日本全国に14社29工場が林立

国内需要の
2倍もの生産能力を持つに至る

しかし昭和に入ると
大陸情勢が激変

日本はやがて
アメリカとの戦争を考える局面に

白洲次郎さんは成人
父親と同じように
貿易と投機で財を成しながら

近衛文麿のブレーンとして
一時期活躍

しかし近衛文麿の挫折と共に
東京を去る決意をする

もうその直前から
1936年・昭和11年
『重要肥料業統制法』が公布

これはやがて
昭和18年・1943年改正され
肥料の生産から末端流通に至るまで
全段階で国家統制に

白洲次郎さん  
東京都心の屋敷
不動産を全部売り払い

鶴川村に移り住むことを決めた
そういう時期だった
NHK のドラマでは

『もう東京に
   屋敷など持っていても
    何の意味もない
    全部焼け野原になるだけだ

     これからは農地を買って
    そこで生きなければならない』


そう言って鶴川村に来る

元々理数系に強いお百姓さんに
農業をお手ほどきしてもらう

白洲次郎さんならば
『ノウハウだけで農業米作りができる』

などとは思っていなかったはず

なぜ
日本人口が劇的に増え

幕末同然の遅れた農村地帯で
人口だけが爆発的に増えたのか?

『窒素・リン酸・カリ』が増えたから

まず窒素化合物
ドイツによる
『ハーバー‐ボッシュ法』の発明により

そして
大量の『カリウム塩鉱石』
そして何より

『リン酸鉱石』

この二つの大量流入により
人工肥料が大量に作られ
それが農地に投入された

従来型農業ではありえないこと

白洲次郎さんはお父さん譲り
投機屋センスがあった

『戦争』と
『肥料産業』の関係性
それはよくよく分かっていた
おそらく当時の日本の誰よりもね

もし戦争になれば
本格的に大戦争になれば

日本は海上封鎖を受けるだろう

特にリン酸肥料の途絶は
最初の数年はともかく

やがて
全国的な大凶作大飢饉
そして飢餓蔓延に繋がるだろう

農業経験はなかった
白洲次郎さんだが

農業経験がある人よりも
そのことだけは
よく分かっていたはずなんですよね

父親の代から
見聞きして知っているから
彼の頭の中では常識だった

そんな白洲次郎さん
あらゆるコネを駆使して

『窒素・リン酸・カリ肥料確保』に
動いたはずなんですよ
間違いなくそうしたはずなんで

窒素化合物
人糞家畜の糞尿でなんとか

カリウムは草木灰が使える

問題は『リン酸肥料』

こればっかりは
農地が良くても
あまり内陸部ではどうにもならない
秩父地方とか信州とか

白洲次郎さん
あえて避けているんですよね

単に戦争を避けるためなら
都会からもっと遠くに行っているはず

ところが鶴川村です

京浜工業地帯に近い
次郎さんは車もバイクも
運転ができます

コネがあるから
ガソリンも手に入ったでしょ
サイドカーよろしく
リヤカーを引っ張る

戦争で絶対に
途絶えることがないのは
『銑鉄生産』つまり『製鉄』です

勝つにせよ負けるにせよ
戦争が終わるその日まで

製鉄所では
『リン酸肥料』が作り続けられる
リン酸化合物獲得のためには
最も確実なツテというかコネ

他の化学工場が止まっても
ここに行けば手に入る

白洲次郎さん
確実に理解していたはずです

そして1938年・昭和13年

川崎製鉄所に
『トーマス炉』が新設
そこで『脱リン作業』が行われ

『トーマス燐肥』として
副産物の化学肥料生産頒布開始

これを中央政界
トップから見ていたのが
白洲次郎さんだった

これがなくなった時に大変
米作りにあたりキーマテリアルになるのは
『リン酸化合物』である

日本はその土の性質上
基材が火山灰であるため

『 アロフェン』 という多孔質の基材
これがリンを吸着してしまうらしい

他国の何倍もリン酸が必要になるから

同じ黒土でも
ユーラシアのチェルノーゼムとか
アメリカンプレーリーとは
そこが違っている

チェルノーゼムや
アメリカプレーリー
グレートプレーンズの黒土

肥料をそれほどやらなくとも
小麦など穀物生産が可能だけど
日本の黒ボク土

同じ黒土でも
そういうわけにはいかない
今までの蓄積で何年かできても
四年はもたない

ヨーロッパもアメリカも知っている
白洲次郎さんはそのこと


米作りを始める前から
日本の土の長所短所
よく分かっていた

間違いなく知っていた

だから
秩父とか北関東とか信州だとか
そういうところでは駄目

いよいよ肥料不足になった時
そういうところでは
どうにもならない

京浜工業地帯に近いところ
リン酸肥料が入手しやすい所

しかも確実に
農業ができそうなところ

前にも言ったけど
ツクヨミ社と飯盛社
そういうオカルト的縁起も
担いでいたとは思うけど

おそらく決定的な要因

『 一足伸ばせばトーマス燐肥が手に入る』
おそらくそれが決め手になった

あの人の抜け目なさというか先見性
見逃していたとは考えにくい

現在色々
考えていて入院してみて
なんだかわかった気がするんですが


https://ameblo.jp/karajanopoulos1908/entry-12540434427.html



☆ 狂躁亭深夜妄言・『 発明は必要の母』 by Arthur Kornberg・ 托鉢乞食中

2019-10-30 04:00:00
テーマ:善意の警告

おととひの世界



薄ら寒さ
甘く見ていた
上着と布団を重ねる
こういうストレスが積もり積もると怖い

『コーンバーグ博士』
アーサー・コーンバーグが父親
ROGER kornberg が息子


二人いるんだ
親子でね

『ノーベル賞』も 
始まって一世紀以上

しかし
『親子2代受賞』って例

コーンバーグ父子以外
ないんじゃないか?
いるのかな?
Curie親子がいたか


めったにない
2例だけか

しかも同分野での受賞
研究内容も方向性も同じ

『リンと生命活動』

DNA にしても
遺伝子工学にしても
尖った奴ほど

アミノ酸タンパク質
要するに枝葉から話を始めている

『リンに着目している』
そういう若手がほとんどおらず

『DNA 2.0』
みたいなこと言っている

そんなことでは
ノーベル賞はムリ

単に流行とんがった分野
追いかけているだけでは無理だよ

コーンバーグ親子 がなぜ
『2代続けてノーベル賞』
だったのか?

少し考えてみなさいよ

日本でもこの分野
肥料と関係があったりするから
古い地味な分野だ

しかしねぇ

ここまで話を広げると
もうちょっと手に負えないけど

人間の脳みそって何でできてる?
『リン脂質』だろう?

脳細胞も神経細胞も『リン脂質』の塊
DNA もまたそうなわけ
 RNA も全部だ

高速で反応し
情報伝達できて
しかもエネルギーまで伝えられる

そういう物質は 
『リン・P』だけだからだ

枯渇するから
代替物質をという人がいる
気持ちは分かるが最初からムリ

『元素』で
なければならない

周期律表で一つ下も一つ上も
安定しすぎているか
もしくは不安定か
適度に安定・適度に不安定

そういう物質はリンだけです

元素は百数十しかない
宇宙広しといえどもその2倍はないだろ

 その中で
一つでもそんなものがあるか?
あまり順位が下の方じゃしょうがない
危ないアイソトープばかりだからね

比較的順番が若い方で
そんなものはひとつもない

周期律表では同じリズムの仲間

ヒ素 As がある
じゃあ我々はヒ素で食えるか?
以前nasaでそういうアナウンスがあった

リンの代わりに
ヒ素を使っている生物を発見したと

しかしヒ素
それほど激しく反応できるかな?

古細菌の一種でいたかもしれんがね
主流になれず淘汰されたのも
仕方がなかったんだろう

おそらく
宇宙のあちこちに
生命は存在するだろう

地球型生命体のように
細胞がある生命体であれば

おそらく

地球だけではなく
宇宙全体どこに行っても

『リン』が
使われているはずだよ
その蓋然性は極めて大きいと
考えなければならない

パンスペルミア説みたいに
DNA 宇宙起源説が裏付けられば
それはほぼ確定的になるはず

しかもコレ
 『酸性・中性・アルカリ性』
どのようなペーハースペクトルでも
水素イオンの出し入れができる

考えてもみなさいって
疲労がたまると乳酸がたまる
細胞内が一気に酸性になる

この中で
中和するために働けるのは
リン酸化合物だけだよ

特に動物の細胞膜は
脂質でできている
油の質が活動できる温度帯を決定している

しかしその活動温度スペクトル
コレにもリン脂質は関係しているし
脂質がどうなろうが
リンだけは同じように活動できる

あらゆるペーハースペクトル

あらゆる pH スペクトルで

と言ったでしょ?
リンはその高速反応性で

情報伝達エネルギー伝達のみならず
生体内 pH 調整までやっている

こんなことができる代替物質
なんかあるものですか

生体内部のあらゆる環境下で
それができなければ
リンの代替物質にはなり得ない

『元素』でなければだめなんだよ?
つまり代替物質発見は絶望的にムリ
リチウム電池みたいなわけにはいかない

これは生命活動の根源に関わる問題
生命の成り立ちそのものに関わる問題

その事実に
思い至らないような研究者

その事実の深さに気がつかないやつ

少なくともコーンバーグ博士
みたいにはなれないさ

今後リン酸鉱物資源枯渇
今年来年はともかく
それ以後は見えてくるはずだ

それに伴いその分野
ノーベル賞がぼちぼち出始めると

合図だと思っていいだろう
ところが日本そういう人

ぼちぼちしかいないよ
早すぎて死んじゃった人はいるけど

広島大学に一人いる
やはり大Kornberg博士の弟子だ
スタンフォード大学にいたはず

おそらく下馬評にも
上がっていないんじゃないか?

それは日本の研究者
流行の先端ばかり
追いかけすぎているからで

海外の見方はかなり違うぞ

ジミに
『ポリリン酸』関連
受賞者が出始めたら要注意

文化庁よく見ておくことな

ノーベル賞もらってから文化勲章
はカッコ悪いからな

考える事が仕事の人
枝葉から考えては駄目だね

『(必要は発明の母)ではない
    (発明は必要の母)なのだ』

アーサー・コーンバーグ博士の言葉
含蓄に富んでいると思うが
どうだろうね





Posted by キ-ス・ジャレッ子 at 07:45