2018年06月28日

『沖縄の願い』平和の詩「生きる」 全文


◆『沖縄の願い』:平和の詩「生きる」,慰霊の日 2018年 ◆

沖縄県浦添市立港川中学校3年 相良倫子


平和の詩「生きる」 全文


 私は,生きている。マントルの熱を伝える大地を踏みしめ,心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け,草の匂いを鼻孔に感じ,遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
 私はいま,生きている。私の生きるこの島は,なんと美しい島だろう。青く輝く海,岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波,山羊の嘶き,小川のせせらぎ,畑に続く小道,萌え出づる山の緑,優しい三線の響き,照りつける太陽の光。
 私はなんと美しい島に,生まれ育ったのだろう。ありったけの私の感覚器で,感受性で,島を感じる。心がじわりと熱くなる。私はこの瞬間を,生きている。この瞬間の素晴らしさがこの瞬間の愛おしさがいまという安らぎとなり私の中に広がりゆく。
 たまらなくこみあげるこの気持ちをどう表現しよう。大切ないまよ かけがえのないいまよ私の生きる,このいまよ。73年前,私の愛する島が,死の島と化したあの日。
 小鳥のさえずりは,恐怖の悲鳴と変わった。優しく響く三線は,爆撃の轟に消えた。青く広がる大空は,鉄の雨にみえなくなった。草の匂いは死臭で濁り,光り輝いていた海の水面は,戦艦で埋め尽くされた。
 火炎放射器から吹き出す炎,幼子の泣き声,燃えつくされた民家,火薬の匂い。着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅魍魎の如く,姿を変えた人びと。阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
 みんな,生きていたのだ。私となにも変わらない,懸命に生きる命だったのだ。彼らの人生を,それぞれの未来を。疑うことなく,思い描いていたんだ。家族がいて,仲間がいて,恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。
 日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた,私と同じ,人間だった。それなのに。壊されて,奪われた。生きた時代が違う。ただ,それだけで。無辜の命を。あたりまえに生きていた,あの日々を。
 摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。悲しくて,忘れることのできない,この島のすべて。私は手を強く握り,誓う。奪われた命に想いを馳せて,心から,誓う。私が生きている限り,こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を,絶対に許さないことを。もう二度と過去を未来にしないこと。
 すべての人間が,国境を越え,人種を越え,宗教を越え,あらゆる利害を越えて,平和である世界をめざすこと。生きること,命を大切にできることを,誰からも侵されない世界を創ること。平和を創造する努力を,厭わないことを。
 あなたも,感じるだろう。この島の美しさを。あなたも,知っているだろう。この島の悲しみを。そして,あなたも,私と同じこの瞬間(とき)を一緒に生きているのだ。いまをいっしょに,生きているのだ。
 だから,きっとわかるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。頭じゃなくて,その心で。戦力という愚かな力をもつことで,えられる平和など,本当はないことを。平和とは,あたりまえに生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
 私は,いまを生きている。みんなといっしょに。そして,これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。なぜなら,未来は,この瞬間の延長線上にあるからだ。つまり,未来は,いまなんだ。
 大好きな,私の島。誇り高き,みんなの島。そして,この島に生きる,すべての命。私とともにいまを生きる,私の友。私の家族。これからも,ともに生きてゆこう。
 この青に囲まれた美しい故郷から。真の平和を発進しよう。一人一人が立ち上がって,みんなで未来を歩んでいこう。摩文仁の丘の風に吹かれ,私の命が鳴っている。過去と現在,未来の共鳴。鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。命よ響け。生きゆく未来に。私はいまを,生きていく。


 ◇◇◇

おじさん政治家たちは「棒読み」

他人が作った原稿をただ,読むだけのスピーチ,判で押したような紋切り型のスピーチ,「死んだ言葉」の羅列など,人の心をピクリとも動かさないことを政治家も企業経営者も,肝に銘じておくべきである。


転載元

社会科学者の随想さんのサイトより

http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1071760223.html






Posted by キ-ス・ジャレッ子 at 06:53