2016年11月28日
「歌伴」の悦びJAZZ PIANIST ぱくよんせ
「歌伴」の悦びについて
JAZZ PIANIST ぱくよんせ Park Yeongse様が語っていた。
以下転載
ぼくはありがたいことに仕事のほとんどが「歌伴」というやつである。ボーカリストの伴奏だ。「伴奏」という表現はジャズにおいてはあまり適切ではないと思うけどとりあえず便宜上使うこととする。
とにかくぼくは歌伴が大好きである。すぐれたボーカリストと共演することこそがジャズピアニストとしての喜びといっても過言ではない。この喜びがわからない人はジャズピアニストには向いていないとさえ思う。
歌の伴奏というのは楽器奏者の伴奏と全くの別物であるなあと感じることが多い。ボーカリストは歌詞を歌わねばならないためその歌詞が一番いい状態で聞こえるように伴奏をしないといけない。これが管楽器であると歌詞がないためまた様子が変わってくる。歌詞がバックにあるのはもちろんだがなんの音をどのタイミングで吹くかということのほうが重要になってくる。歌詞があるとこの点が全く変わってくる。歌詞を伝えることがまず第一にくる。いくらフェイクしてもaやtheをとばしては決してだめである。ひとつたりとて欠けてはいけないのだからその邪魔をしてはいけない。
邪魔をしてはいけないという反面、だからといってバックに徹しなければならないのかというとそんなことはなくて、ジャズなのだから相互作用が必要になってくる。伴奏者もボーカリストに刺激をあたえるような和音を弾いたりフレーズやリズムの提案を瞬時にしたりすることがジャズならではの楽しみになってくる。
しかしこれも気をつけなくてはいけなくて、ボーカリストは体のどこかを押さえればソの音が出るとかそういうものではないのでボーカリストが自分の音をわからなくなるようなことはしてはいけないのである。こういうことをそれぞれ瞬時瞬時に判断してやらなければいけないのだからジャズは本当に大変なのだけどそれがまた楽しいのである。
そしてそれらが自己満足にならず惰性にもならず、芸術的価値をもって音楽的なまとまりもありつつ、そしてエンターテイメントにもなっているという。。。
これが本当に理想なのである。なかなかそういうことは難しい。いつもできるとは限らない。しかし奇跡的な瞬間というのは訪れるもので、これは本当に素晴らしいのである。その瞬間が高い確率で訪れるようぼくたちは日々研鑽しなければいかんのだなあとあらためて思う次第であります。
キース:研鑽も練習もしてないなあ〜
Posted by キ-ス・ジャレッ子 at 12:52│Comments(0)